Atriaの気ままブログ

ゲーム・アニメ・本・車・ガジェットなど、自分の趣味をつらつらと書き綴るブログです

【前編】Mr.Children「miss you」を約1週間聴き込んだ感想 ~今までにないミスチルとの出会い

 

 こんにちは。Atriaです!

 

 今回は、Mr.Childrenの21枚目のアルバムである「miss you」が発売されて約1週間がたったので、感想を書いていきたいと思います。

 

 

 いやー、このアルバム。すごいですね…(語彙力)

 

 発売日は2023年10月4日なのですが、10/3にフラゲして、ひたすら聞きまくり、何となく口ずさむことができるくらいにはなりました。

 

 聞き込んでいる中で、あまりにもこのアルバムの雰囲気が暗いので、雰囲気に引っ張られて先週は少し気持ちが沈んでました(笑)。

 

 皆さん言ってることですが、曲名も、曲のサウンドや歌詞も、いい意味でミスチルっぽくない!!!

 とても新鮮な気持ちで聞けるのですが、なんか全体的に暗いんですよね。特に中盤らへんの曲たちはひどい(笑)

 「深海」(1996)や「DISCOVERY」(1999)らへんを思い出させるような感じです。

 ある意味では、このアルバムも「深海」と同じようにコンセプトアルバムなんでしょうか…

 

 先行配信されていた「ケモノミチ」を最初に聞いたとき、「miss you」のサウンドは「重力と呼吸」(2018)と「SOUNDTRACKS」(2020)を足して2で割った感じかなあとか思ってたんですが、そんなことは全然ありませんでした。

 なんかやっぱりミスチルっぽくない…サウンドはJ-POPでは少なくともないんじゃないかと思います。(素人意見)

 

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 そんな感じで、自分の中でこのアルバムについての感想が固まりつつあるようなないような感じなのですが、このタイミングでとりあえず言語化しておこうと考えました。

 


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 それではどうぞ!

 

目次!

 

 

1. I MISS YOU

 個人的にはとても好みの曲です。

 

 前作「SOUNDTRACKS」の1曲目である「DANCING SHOES」に似た雰囲気を持っている曲だなあ、と最初に聞いているときに感じた曲です。

 今もその感想は変わらないのですが、聞き込んでいくと似てるけど何か違うな…と感じてきました。

 

 「DANCING SHOES」は最初こそ暗い雰囲気であるものの、段々ストリングスが入ってきてエネルギッシュになり、最後には明るくなり、景色が開けてくるような感じがします。そして明るい曲調の「Brand new planet」につながっていく。

 

 しかし、それに対して「I MISS YOU」は最後まで暗い。最後の歌詞が「それが僕らしくて 殺したいくらい嫌いです」であることからも分かる通り、なんか病んでます(笑)

 歌詞が全体的に暗いし、サウンドもバンドサウンドではあるものの暗い…

 

 「迷って試して信じて疑って」「庇って𠮟って祈って歯向かって」は、失ってしまった恋人に対して昔にした行動なのかなあ。

 「何が悲しくって こんなん繰り返してる?」「誰に聴いて欲しくて こんな歌 歌ってる?」は、「I miss you」と繰り返しながら悩んで自問自答しているこの曲の主人公が目に浮かびます。

 

 なんか桜井さんの闇が垣間見える曲です。

 

2. Fifty’s map 〜おとなの地図

 


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 全然感想と関係ないんですけど、この曲を最初に聴いたとき、サビの最後に出てくるフレーズがら抜き言葉」になっているところがすごい気になりましたね。

 今まで桜井さんら抜き言葉使ってたっけ?(もしあったらスミマセン)

 「昂る鼓動を感じれたなら」「自信なんて無くても あるように見せれるさ」「この瞬間に生きていれたら」とおそらくわざと「ら」を抜いてるんだと思うんですけど…

 聞くたびに毎回気になる(笑)。現代人の言葉遣いに合わせてるのかなあ…

 

 おそらくアルバムのリードナンバーになるのはこの曲か「ケモノミチ」かになるのかなあ…

 聞いた印象は、前作の「Brand new planet」に近いポジションの曲ですよね。「Documentary film」がリードナンバーで、その次が「Brand new planet」みたいな。

 

 「バイクで闇蹴散らし 窓ガラス叩き割って」を最初のトレーラーで聞いたとき、完全に尾崎豊が頭をよぎりました(笑)。私はまだ20代ですが、なんかティーンエイジャーでなくなって段々物事を始めることに対して億劫になっていく自分があるのを感じていたので、50代の人たちに向けた曲であったとしても、心に染みるものがあると思いました。

 

 歌いだしで「誰にだって 『独りになれたら』と願う そんな時がある」と歌ってくれる桜井さんがとてもやさしくて好きな一曲です。こんな気持ちにまで寄り添ってくれるなんて、まさに「優しい驚き」でした。

 

 30年以上もMr.Childrenとして活動し、周りの期待に応え、時には超えてきた4人。そんな4人だからこそ、「『偶然』に助けられ なんとかやって来ただけのこと」と歌うことに意味があると思います。

 MVが「くるみ」のMVを使いまわしてる(笑)ということもあり、「Fifty`s map」は「くるみ」のアンサーソング的なところもあるのかなと思います。

 このアルバムの中では、いい意味で、一番今までのミスチルの曲っぽいですね。

 

3. 青いリンゴ

 こちらもこのアルバム内ではかなり明るい曲。

 アコギの軽快な音が青々としたリンゴをイメージさせます。

 

 歌詞を見ていると、「リンゴ=心」なのかなと思いました。

 成長して、年を取って、50代になった自分の心は傷がたくさんついていて(傷んだリンゴ)、「生まれ変わったら見たい世界があるよ」と自分の死後すらイメージしている。

 でもそれをゴミ箱に投げ捨てて、「いやまだ間に合う気もすんだ」と言いながら、自分の中にある、まだまだ青臭くて若い心(青いリンゴ)を信じて、まだまだ残りの人生を味わってこうぜ!…というストーリーなのかなと思いました。

 

 最初に聴いたときは、やけに明るい曲だなと思って、あまり耳になじまなかったのですが、聞き込むうちに歌詞に惹かれた曲ですね。

 

4. Are you sleeping well without me?

 たまらない一曲ですね。

 僕は大好きなんですが、X(旧Twitter)のアンケートでは想像以上に人気なくて悲しくなりました。

 確かに、このアルバムでなければ存在しえないくらい暗い曲ですが。これ4曲目ってマジ?

 ピアノと規則的に鳴るドラム?がなんかすごく重々しいですね…

 

 タイトルを意訳すれば、「僕が居なくても、君はよく眠れてるかい?」という感じですかね。主人公は、別れた恋人に少しでも自分と別れたことを悔しがっていてほしい、なんて想いが伝わってくるタイトルです。

 

 主人公も急にギター弾いてみたり、何回もコーヒーをこぼしたりと、彼女と別れてからの「新しい日々」は心ここにあらず、ですね。(ちなみにFifty's mapから3曲連続で「コーヒー」が出てきます。めっちゃコーヒー飲むやん。)

 本来はプラスの言葉である「新しい日々」がこんなにも重々しく歌われるもんですから、気持ちが引っ張られてしまいます(笑)。

 でも桜井さんの縋りつくような歌声が癖になる…

 

5. LOST

 明るいサビと暗い歌詞が対照的でインパクトのある曲です。

 ちなみにこの曲もめっちゃ好き。

 最初にはじまるときやサビで鳴ってる低音のサウンドが特に好き。

 

 この曲の凄いところが、なんかすごい夢に満ちたこと言ってるようなサウンドで、全然そんなことを言ってないという点ですね。歌詞を見たとき、かなり衝撃的でした。

 

 鏡に映る自分を見て、「『くたびれた顔してるな』って」「こんな自分をもう見たくない」と思う、っていう歌いだしだけで意味が分からん。

 

 サビも「掴んだ光さえ 歪んで闇に消えてった 取り返せもしないで また今日も立ち尽くしている」という、希望も何もなく、ただ本当に夢をつかめなかった人の思いが生々しく描かれています。

 

 頑張って夢をつかもうとしたり、他人に対して想いを伝えようとしたりしたけれど、結局それらを成し遂げることはできず、ただ立ち尽くしている。

 昔はそれでも「良いことがきっとあるよって」信じて前に進んでいたが、もはや今はそんなことはないと気づいてしまい、「星でも眺めて暮らしていたい」と思うほど疲れてしまった。

 もう「仕事終わりに飲むビールと 年老いた二匹の犬が僕の帰りを待っている」、そんな生活で満足だよ、と「それだけで良い」と繰り返し自分に言い聞かせるしかない、そんなありきたりな一人の人間の現実が描かれています。

 

 救いがなさすぎる…

 

6. アート=神の見えざる手

 「神様の見えざる手」の言い方がめっちゃ好き。

 このアルバム、というか今までのミスチルの中で一番といってもいいほどの問題作。

 最初に歌詞見たとき、やたら文字数が多いから、ずいぶん長い曲なのかな?と思ったら、普通に3:42って書いてあるからどんな曲なんだと思いました。

 

 ずっとしゃべってる…

 

 ラップなのかなあ…すごい不思議な曲です。

 インストの曲だったらペルソナ5で流してもばれないんじゃないかな、なんて思いながら聞いていたら、ん?ピー音?ん?もろセッ〇スって言ってね?

 

 いやー、もちろん今まで「マシンガンをぶっ放せ」とか「Monster」とか、下ネタが入ってた曲はあったけれど、よく聞いてれば認識できる程度でした。

 でも、この曲はラップ!言葉がもろに聞こえてくるから今までの曲の比にならないくらいヤバい曲になってる…

 

 でも、「SOUNDTRACKS」では鳴りを潜めていた桜井さんのキレッキレの社会風刺の歌詞は素晴らしいですね。もろ某国の名前を出してますけど、大丈夫でしょうか…

 

 歌詞を見てると、炎上商法の話をしてるんじゃないかな、と思いました。

 自分の恋人に対してDVしていて、それが原因で彼女は自殺してしまった。しかし、それは自分のせいではなく、神様のいたずらであると主張する。「神様の見えざる手」によるものである、と。

 この事件をきっかけにして、世間の注目は主人公に集まる。主人公はこの時、わざと「倫理 道徳に波風を立てて 普遍的なものを嘲笑」うことで「大衆を安い刺激で釣って 国家権力に歯向かってみせて」、世間に対して不満を持っている「半端もんの代弁者」になることに成功した。(カッターを突き付けられたこと、恋人に対するDV、ワイドショー、某国のアンビリーバブルな行動のくだりは、主人公が世間を炎上させるためのネタとして発言した内容?)

 もちろん、世論は一枚岩ではないから、「『酷い』とか『汚ねえ』とか『卑怯』とか」言ってくる者たちもいるが、それすらも自分が注目されていることの証拠であるため、主人公は嬉しさを隠せない。

 なんなら主人公は自分の行動について、「望まれたことに応えたいだけ 刺激が足りないって みんな言うから」と人のせいにする。

 こうすることで、主人公は「半端もんの代弁者」となり、炎上商法という「アート」を完成させたことになる。

 

 しかし、そもそも主人公が「アート」を完成させることになったきっかけは「神様の見えざる手」であったことから、タイトルが「アート=神の見えざる手」なのではないかと思いました。

 

 なんか考察記事みたいになっちゃった。

 なんでこんな狂気に満ちた歌詞を思いつけるん?

 ミスチルの4人は、どんな顔してこの曲のレコーディングしたんだろう?気になる…

 

 

 

 

 

 …思ったより長くなったので、前編・後編に分けようと思います。

 ということで、この続きは後編で。

 

 

 

ゼノブレイド3サウンドトラックの情報が出そろったみたいなので、サウンドトラックについて語る

 こんにちは!アトリアです。

 

 さっき記事を書きましたが、ゼノブレイド3の追加コンテンツ第4弾「新たなる未来」のトレーラーが公開され、とても興奮しています。

 

atria2123.hatenablog.com

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 同時に、ゼノブレイド3のサウンドトラックのジャケ写デザインなどが公開されたので、このタイミングでゼノブレイドシリーズのサウンドトラックについて書いておきたいと思います。

 

ゼノブレイド3 オリジナル・サウンドトラック <完全生産限定盤> – PROCYON STORE

(↑このジャケ写だけで欲しくなる)

www.procyon-studio.co.jp

 

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 今回発売が決定したのは、ゼノブレイド3 オリジナル・サウンドトラック」、「ゼノブレイド Definitive Edition(以下DE) オリジナル・サウンドトラック」、「ゼノブレイド オリジナル・サウンドトラック トリニティBOX」の3つです。

 

www.procyon-studio.co.jp

 

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 私の話になりますが、私はゼノブレイド」、「ゼノブレイドクロス」、「ゼノブレイド2」のサントラを持っています。

 

 これに加えて、ゼノブレイドDE Collector's SetについてきたサウンドトラックCDを持っています。

 つまり、私が所有していないのはゼノブレイドDE」のフルのサントラ、「ゼノブレイド2 黄金の国イーラ」のサントラと今回発売される「ゼノブレイド3」のサントラになります。

 

 すると、私が買うべきなのはゼノブレイド3 オリジナル・サウンドトラック」の初回限定版なのか、ゼノブレイド オリジナル・サウンドトラック トリニティBOX」なのか、という問題にぶつかります(ました)。(せっかくなら完全生産限定を購入したほうがいいという動機で、この2つに絞りました。もちろん、お金があればどっちも買いたいんですけどね。)

 

 ここで考えます。じゃあ、ゼノブレイド3 オリジナル・サウンドトラック 完全生産限定版」についてくるものって何?と。

 パッケージにはキャラクターデザインを担当した齋藤将嗣氏が本サントラのためだけに描き下ろしたイラストを使用。ノアたち6人の旅の想い出が封じ込められたイラストを現在鋭意制作中。完全生産限定盤にはレコーディングで使用した聖神の笛(ノアの笛)・祈神の笛(ミオの笛)の1/3スケールミニレプリカや80Pにおよぶ大ボリュームブックレットも付いてくる。ブックレットには作曲家自ら解説した全曲ライナーノーツや『ゼノブレイド』や『ゼノブレイド2』のモチーフが使用された楽曲一覧、メイン作家のインタビューなど読み物として充実した盛りだくさんの内容となっている。その他豪華BOXやデジパック、齋藤将嗣氏描き下ろし写真風イラスト、作曲家サイン&メッセージカードなど豪華な内容となっている。

(引用元:https://www.procyon-studio.co.jp/library/detail/193.html

 聖神の笛(ノアの笛)&祈神の笛(ミオの笛)1/3スケールミニレプリカイメージ画像

(出典:https://www.procyon-studio.co.jp/library/detail/193.html

(↑ そもそも笛に名前がついていたという衝撃、祈神?え?機神?)

 

 …いいなぁ。ゼノブレイド3をプレイしたものからすれば確かにたまらない内容でございます。しかし、問題なのがその値段。16,800円(税込み)。え?

 

 ゲーム1作品のサウンドトラックにゲーム自体の値段以上を出そうと考えたとき、ちょっと尻込みしてしまいます…

 

 次に、ゼノブレイド オリジナル・サウンドトラック トリニティBOX」の内容についてみていきましょう。

ゼノブレイド ディフィニティブ・エディション オリジナル・サウンドトラック』、『ゼノブレイド2 オリジナル・サウンドトラック』、『ゼノブレイド2 黄金の国イーラ オリジナル・サウンドトラック』、『ゼノブレイド3 オリジナル・サウンドトラック』の4タイトルを一つのBOXに収録した作品。トリニティ・プロセッサーをモチーフに新たにデザインされた豪華BOXの中に20枚のデジパックが収納された『ゼノブレイド』の全てが詰まった圧巻のBOX。『ゼノブレイド』シリーズ総監督高橋哲哉氏のコメントや光田康典などメイン作家のコメントなども掲載された56Pのブックレット付き。

(引用元:https://www.procyon-studio.co.jp/special/xbostportal/xbosttble.html

 

 …こちらのほうが僕には響いてしまいました。BOXのデザインといい、内容と言い、一応ゼノブレイドシリーズファンでありますので、こちらのほうがガツンと来てしまいました…

(出典:https://www.procyon-studio.co.jp/special/xbostportal/xbosttble.html

(↑ おい!トリニティプロセッサはずるいだろ!こんなんかっこいいに決まってるじゃないか!!!)

 

 「ゼノブレイドクロス」を除くゼノブレイドシリーズ3作(+追加ストーリー)のサントラがすべて詰まっていて、この際に買い漏らしていたサントラも手に入り、ゼノブレイド3のサントラもしっかり入ってくる。

 

完璧では?

 

 いや~、モノリスソフトさん、商売上手ですね。これだけの内容で20,000円(税込み)なんて。完全に金銭感覚がバグりましたね。

 でも、でも、こっちはゲーム実質4本のサントラがすべて入ってるから、平均すれば1本あたり5,000円なので、問題ありません!!!

 

 おそらく、制作陣的には、ゼノブレイド3のファンはゼノブレイド3オリジナル・サウンドトラックを、ゼノブレイドシリーズのファンはトリニティBOXを買ってね、と考えたのではないでしょうか?うん。そういうことにしよう。

 

 よし、ゼノブレイド オリジナル・サウンドトラック トリニティBOX」にしよう。

 

 

 ふう。

 

 

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「ゼノブレイド3 新たなる未来」だと?いきなりの発表に興奮が隠せない…

 こんにちは、アトリアです。

 

 今日のお昼に、とんでもない爆弾が投下されました。

 

ゼノブレイド3 新たなる未来」だと?

(↑後ろにあるのって監獄島?)

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 この前のNintendo Direct 2023.2.9にて発表された追加コンテンツ第3弾で、最後の方にちらりと大人になったシュルクとレックスが登場していましたが、まさかこんなに早く第4弾が配信されるとは思っていませんでした…

(個人的には発売一周年の2023年7月29日に来るんじゃないかと予想していました)

 

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 そんなこんなで昼休みに何気に発見してしまった情報のせいで、午後は頭が使い物になりませんでした…笑

 

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(↑この動画の、ナエルのシーンで出てきた曲名でさすがに笑いました)

 

 トレーラー公開から11時間で13万回再生と、追加コンテンツにしてはかなり注目されているのではないでしょうか…!

 ゼノブレイドファンとしてはうれしい限りです。

 

 しかも配信がまさかのトレーラー公開から1週間後の4/26という…

 開発のスピードがバグってますね。もう、なんかすごいですね。(語彙力)

 

 戦闘BGMも公開されていますが、ほんと、総決算という感じで、タイトルも"New Battle!!!"と、「戦闘!」「戦闘!!」の戦闘BGMの系譜が受け継がれていて素晴らしいですね~

 

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登場キャラクターも一斉に公開となりましたが、こちらもすごいです。ほんと、何も言えません。(ネタバレ注意)

 

 マーシャルアーティストって…ゴンドウ!!!

 というかマシューのビジュアルがノアまんまじゃねえか!!!

 マシューのおじいちゃんのゴンドウは、きっとノアとミオの息子なんだろうな…(遠い目)なるほど、そういうことか~、と思いながらトレーラーを見ていました。(ゼノブレイド3本編をやった人ならわかるはず)

 そして、執政官Aだけいなくね?問題でしたが、巷ではアルヴィースしかいないやん、なんて話になっていました。が、ちゃんと出てきましたね。(イヤリングの形がまんまアルヴィースのコアクリスタルなのはなぜなのかはよくわかりませんが…絶対アルヴィースと関係あるやん!!!)

 持っている武器がモナド、しかもちゃんと「斬」が浮かんでいる(公式サイトのスクショ)のはもう悶絶ものですわ。

 

 この2人、見た限りではそれぞれシュルクの息子とレックスの娘なのかな、と思っていますが、実際のところはどうなんでしょうか?

 トレーラーでは、ニコルはシュルクの義手のメンテナンスを行っているように見えたので、息子なのかな~と思いますが、カギロイはちょっと意味深なこと言っていたので、もしかしたら違うのかな、と考えてみたり…

 妄想がはかどりますな。

 どうでもいいですが、見た目から、ニコルの武器はきっとノポンの手(耳?)から発想を得ているのでしょうね。なんかかつての主人公たちの子供たちが出てくるっていいな(語彙力)

 

 はい、ゼノブレイドゼノブレイド2の主人公で我らの英雄2人でございます!!!

もうこの2人が出るってだけでおなかいっぱいです。しかも成長した姿を見せてくれるなんてなんてありがたい話なんでしょう!!!

 

 ありがとう!高橋哲哉監督!ありがとう!モノリスソフト

 

…ということでしっかりこの二人が出てくるということがすごいですね。シュルク「つながる未来」で使っていたモナドR・EXの改良版、レックスは豪華にもホムラとヒカリの聖杯の剣を二刀流で登場するという。しかも名前が焔光の双剣って。

 

 あーーーーーーーーーー

 

 頭がおかしくなりそうです。

 なんかシュルクは片手で剣を使うところがダンバンさんに、レックスは見た目がヴァンダムさんに似ててまたそれがいい!

 

さいこうですね。

 


 まあ、この二人はなんか意味深な立ち位置ですね。

 "?"は明らかに見た目がアルヴィースなんだが、違うのかな?なんか事情があるんだろうか?ゼノブレイドの最後ではシュルクにかなり好意的な立ち位置だったけど、どうなるんでしょうか?

 ナエルは主人公の立ち位置にいるマシューの妹にも関わらず、パーティメンバーでもなく、トレーラーでもちょっと闇を感じる描写があったので、どうなるんだろう、という感じです。現時点ではよくわからないですね…

 

 という感じで、キャラクターを見るだけでも、期待値が爆上がりしてしまう「新たなる未来」、1週間元気に過ごして万全の体調で臨みましょう!

 

 それでは!

 

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「お兄ちゃんはおしまい!」を見て、これからのアニメの多様性について色々と考えてしまった

 皆さんこんにちは、アトリアです。

 

 2023年春アニメの情報が公開され始め、2022年冬アニメも放送終了が近づいてきましたね〜

 私は、実は今期のアニメ、今回の記事で取り上げる「お兄ちゃんはおしまい!」しか見ておりません。

 

(出典:https://anime.nicovideo.jp/detail/onimai/index.html

 

 と言いますのも、忙しくて買っただけで積んでいたゲームソフトや書籍の消化で立て込んでいて、また、アニメに関しても3月24日に公開される劇場版のグリッドマンユニバースに向けて、SSSS.GRIDMANSSSS.DYNAZENONを復習していたら、もう春休みが終盤に差し掛かってしまっていたわけでございます。

 

 そんなこんなで唯一今期見ている「お兄ちゃんはおしまい!」(長いので以下「おにまい」)ですが、かなり(あえて過激な表現にすると)イカれたアニメになっています。(でもそれがいい!)

 

 最初は作画が好みだったので見始めたのですが、まず最初の展開からぶっ飛んでいます。

引きこもりのダメニートな緒山まひろは、ある日目覚めると“女の子”になっていた!? 鏡に映る美少女が自分だと分からず混乱するまひろのもとに、飛び級で大学に入学した天才科学者である妹・緒山みはりが現れ、飲み物に怪しげな薬を盛られていたことが判明する…! 

(引用元:https://onimai.jp/story/

onimai.jp

 ストーリーからしかなり刺激的かつファンタジーな展開になっています。

 

 引きこもりのダメニートである兄が賢い妹に一服盛られ、不思議な薬の効果によって女体化してしまいます。そして、妹はその薬の治験を手伝ってもらうという形で女になった兄を働かせて社会復帰させようとします。一方、女体化したお兄ちゃんは中学生女子として生活していく中で新たな人生を歩み始める…という感じのストーリーです。

 

 こういう、登場人物が性転換する物語をTSF(transsexual fiction, 性転換フィクション)というらしく、一定の支持を得ているジャンルのようです。(全然知らんかった)

ja.m.wikipedia.org

 

 まず女体化する薬って何やねん、という心の中のツッコミからこの物語は幕を開けますが、それはファンタジーなので問題ありませんね。(白目)

 

 しかし、TSFというジャンルが一定の支持を得る理由としては、やはり男にとって、確かに女性の体って未知なもので、興味を引くもの、一回体験してみたいものなのかもしれません。(別にやらしい意味とかではなく)

 

 劇中で展開されるのは女の子あるある(?)なトイレ事情、生理、胸、化粧、おしゃれ…など、女性になった際に生じうる、男性との違いに関する戸惑いが描かれています。(下のネタが多いこと多いこと)

 

 下の話がかなり多いものの、その中で描かれる、女の子になったことに戸惑いながらも頑張るまひろと大好きな兄を社会復帰させようと奮闘するみはりの兄弟愛(姉妹愛?)がとても微笑ましい。こういう、ダメだったり引っ込み思案だったりする主人公が周りの人たちの働きかけによって成長していくストーリが大好物(ご注文はうさぎですか?「色づく世界の明日から」が大好き)なので、アニメの7話くらいまではかなり楽しく視聴していました。

 

 それ以降の話は、日常系・百合系コメディーにシフトしており、「あれ?TSFは?」と思ってしまうほどまひろが女の子してて一周回って面白いです。しかし、後半に行くにつれてまひろは中学校の同級生との絡みが増えるため、序盤の姉妹愛がだんだん見れなくなっていくのには少し寂しさを感じています。

 

 先ほどはファンタジーで片付けてしまいましたが、もし性転換できる薬(女性になれるだけでなく、男性になれる薬もあれば面白そう)が本当に開発されたのならば、(生物学的な)2つの性(sex)についてお互いにより深く理解し合うことができるかもしれません。高いお金を払ってリスクのある性転換手術も受けなくて良くなりますし、様々な(社会的な)性(gender)を持つ人たちにとっては生きやすい世の中になるのかもしれません。

 

 そういう視点で見れば、夢のある話と理解することもできるのでしょうか?(かなり無理やりですが…)

 

 しかし、このアニメは別にそういう高尚なものを掲げているのではなく、LGBTQのような性の多様性が叫ばれる今日の世論とは逆行するようなストーリが展開されています。

 

 かなり知名度が高くなった用語なので知らない方はいないとは思いますが、一応説明するとLGBTQとは以下の意味です。

LGBTQとは、Lesbianレズビアン=女性同性愛者)、Gay(ゲイ=男性同性愛者)、Bisexualバイセクシャル両性愛者)、Transgenderトランスジェンダー=心と体の性が異なる人)、Queer/Questioningクィアまたはクエスチョニング=性的指向性自認が定まらない人)の頭文字をつなげた略語で、いわゆる性的少数者セクシュアルマイノリティ)の総称です。

(引用元:LGBTQ│初めてでもわかりやすい用語集│SMBC日興証券

www.smbcnikko.co.jp

 

 このアニメでは徹底的に、2010年代の、もしかしたら2000年代の、まだアニメがサブカルチャーの象徴とされていたころの深夜アニメのようなノリが延々と繰り広げられます。(まあ、それがたまらないのですが)

 それはおにまいのOP映像と主題歌に最もよく表れていると思います。

 


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 曲のリズムや歌詞といい、何の意味もなくOP映像でとりあえずキャラクターに水着を着させているところといい、何か一昔前のアニメを思い出させてくれます。映像が絶妙に曲のリズムとマッチしていて、可愛い作画が相まってむちゃくちゃ好きです。

 

 本編でも、キャラクタの作画はとても綺麗で、ヌルヌル動きます。キャラクターそれぞれも、わかりやすくキャラ付けされていますが、それぞれ際立っており、みんないい子で、誰一人として蚊帳の外になっていないのがいいですね。

 

↓「アイデン貞貞メルトダウン」のMVの方のコメント欄でも「一昔前のアニメを思い出す」というようなことを書いている方が何人もいらっしゃいました。


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 この曲、中毒性がすごく高く、アニソンとしての完成度はピカイチです。最近のアニソンの中ではダントツで好きです。

 

 初めてこのOPを見た時、何とも言えない、実家に帰ってきたような安心感があり、この感じは「らき⭐︎すた」のもってけ!セーラーふくであったり、「這い寄れ!ニャル子さん」の恋は渾沌の隷也であったり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のハレ晴レユカイであったり、「ご注文はうさぎですか?」の「Daydream cafe」であったり…

 


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 こういうTHEアニソン的な感じの曲と近い雰囲気を「アイデン貞貞メルトダウン」には感じます。(もちろんあちら側もそのつもりで製作しているのでしょうが…)

 

 しかし、このような曲を主題歌にしているアニメを最近あまり見なくなりましたね〜(自分が見てないだけかもしれませんが…)そういう意味で、おにまいは日本のサブカルチャーとしてのアニメの流れを汲んでいるように感じます。

 

 対して、最近のアニメは、作中のノリやOP、主題歌が(サブカルチャーとしてのアニメと比較して)真面目なつくりである印象を受け、こちらはどちらかといえば、ドラマやジブリなどに代表されるアニメーション作品の流れを汲んでいるような気がします。

 

 前者はもちろんディープなアニメオタクに向けた作品であり、一般ウケはしませんが、いわゆる三角ピラミッドの頂点にいる人たち(下の図で言うところの熱狂・コアユーザー)に向けたものになります。

(出典:https://note.com/yuya_takada/n/nfe23217b45af

 

 一方、後者はピラミッドの下にいるライトユーザーやヘビーユーザーに向けて制作されています。そのためより大衆に向けた作品になります。

 

 注意して欲しいのは、このピラミッドは上にいるほど優位性があると言った意味合いではなく、むしろ、人数は減っていくが、そのコンテンツに費やす時間や金銭が増加する、という意味合いであるということです。

 

 その市場を廃らせない、むしろ拡大していくためには、ピラミッド全員に満遍なくコンテンツを届けつつ、外部から新規ユーザーを呼び込んでくる必要があります。

 

 人数は少ないけれど時間や金銭を費やしてくれるコアユーザーにのみコンテンツを届けているだけでは市場規模が縮小していき、廃れていく可能性があり、逆にライトユーザーにのみコンテンツを提供していてはいつまで経ってもそのユーザはコアユーザーになっていかず、市場に金銭が流れ込んでこないため、これはこれで廃れていく可能性があるのです。

 

 そういう視点で、おにまいの現在のアニメ市場における立ち位置を振り返ってみると、これはコアユーザーに向けたコンテンツであると理解できます。

 

 近年、日本のアニメ市場は急速に拡大し、かつてサブカルチャの象徴であったアニメは、いまやドラマや映画に肩を並べ、多くの人が当たり前のように見るコンテンツとなり、またその作品数も昔に比べて増加しています。また、現在のアニメはおそらくほとんどの人がPrime VideoやNetflixに代表されるサブスクリプションサービスで視聴しており、DVDやBlu-ray(俗に言う「円盤」)を購入する人は少数派であると思います。

 

 こう言った現状は円盤の売り上げの減少に顕著に表れています。

www.koenote.info

 

 上記の記事では、〈もっと具体的に言えば、最上位のアニメの売上は変わらない。むしろ増加している感じすらある。しかし、中層から下層のアニメのBDDVDは本当に売れなくなっている。(引用元:https://www.koenote.info/entry/2018-09-29-172107と書かれています。

 

 最上位のアニメというのは、話題性があって人気であったアニメである、というのはいうまでもありません。そういう意味では、いかに間口を広くして視聴者を増やすかが(ビジネスとしてのアニメ制作にとって)大事なのではないかと感じます。

 

 アニメの作品数が多い(=競合する相手が多い)現在のアニメ市場では、振り切った展開、魅力的なキャラクターやストーリーを描いて話題性を確保し、母体数の多いライトユーザーに視聴してもらうことで視聴者を増やす。そして円盤を積極的に買ってくれるアニメオタクに加えて、作品に魅了されたライトユーザーにも円盤を購入してもらうことが重要なのだと思います。それを成し遂げたのがリコリコ(リコリス・リコイル)だったのだと今更ながら思います。

www.oricon.co.jp

 

 〈最近の声優はもう1,000枚売れるアニメに出れれば十分すごいと言ってもいい。〉(引用元:https://www.koenote.info/entry/2018-09-29-172107と書かれていることからも、この時代に2.1万枚も売り上げたリコリコは大成功と言えるでしょう。

 

 そんなアニメ市場の中で、しかもリコリコという成功したモデルの後で、振り切った展開、魅力的なキャラクターやストーリーを描いて話題性を確保しているものの、母体数の多いライトユーザに視聴してもらう気があまりないおにまい(実はあるのかもしれないが、流石にライトユーザーにはきつくないか?)というアニメは、現在のアニメ市場においてはかなり尖った作品であると受け取ることができます。

 

 先ほど書いた性の多様性(LGBTQ)について、おにまいの製作陣はおそらく考慮していないわけではなく、あえて考慮せず、生物学的な性(sex)に焦点を当ててストーリを描いているのだと思います(多分)。また、ポリコレ(ポリティカル・コレクトレス)などもないもののように、キャラクタを魅力的に物語の中で生き生きと描いているのだと思います。

 

 ちなみにポリコレとは、以下のような意味で用いられます。

ポリティカルコレクトネスは英語では「Political Correctness」と書き、「PC」や「ポリコレ」とも略されます。一般的には「非差別的な言葉づかい」という意味があります。

 

1980年代頃のアメリカで生まれた言葉で、偏見や差別に起因した表現や認識を改めるための概念を指します。とくに人種や性別、文化、年齢、職業の多様性を認め、中立的な表現や用語を用いらなければならないとしています。

(引用元:https://jp.indeed.com/career-advice/career-development/political-correctness

ja.m.wikipedia.org

 

 令和の世の中で、きっとこの作品を見た人の中には、不快感を感じたり、怒りを感じたりする人たちがいるかもしれません。もちろんそれは一つの正しさであり、私はそれをここで否定する気はありません。それでも、だんだんと表現の自由というものが形骸化している今の世の中で、これだけの(いい意味での)問題作を作り上げた製作陣の英断には素直に拍手を送りたいと思います。(いわば、表現の自由の規制に対するアンチテーゼですね。)

 

 日本のアニメ文化の、サブカルチャーとしての側面を受け継いで制作されたこの作品は、令和の日本のアニメ文化に(良くも悪くも)大きな影響を与えた作品だと思います。(実際、初めて見た時、「え?ここまでやっていいのか?」と不安になりました…笑)

 

 これからの日本のアニメシーンでは、こういう作品はメインストリームではなく、オルタナティブなものとして扱われていくのでしょうが、ぜひ未来にもこういうものを残していって欲しいですね。

 

 心に留めておいて欲しいのは、決して性の多様性やポリコレを否定するつもりではないということです。あくまで、コンテンツ制作において、作品自体はそのような思想から解放してもいいのではないか、それに過剰に気を取られて、本来であればもっと良い作品にできたかもしれないものを無碍にしてしまうのは違うのではないか、という主張です。それは過激なポリコレ思想の影響を受けている現在のゲーム作品でも同じことが言えると思います。ある思想も、度が過ぎれば、今度は異なる人が差別の対象となり得ます。性の多様性やポリコレを尊重しつつも、場合によって使い分ける寛容さも必要なのではないでしょうか?

 

 …なにか随分話が大きなものになってしまいましたが、とにかく言いたいことは、「お兄ちゃんはおしまい!」という作品が、アニメ市場での立ち回り方であったり、表現の自由の規制へのアンチテーゼであったりと色々と尖っている作品であり、今の世にこの作品が放たれたからこそ、日本のアニメシーンの文脈で見ると、とても価値あるアニメーション作品であると思う、ということです。

 

 

ぐだぐだとここまでの長話に付き合っていただきありがとうございました。

これからも日本のアニメを応援していきたいですね。

 

 

では最後に。

 

 

 

 

 

 

おにまい、最高!

 

 

 

 

 

自分の価値はどこにあるんだろう。「推し、燃ゆ」の読後レビュー

 皆さんこんにちは、アトリアです。

 

 今日はタイトルにもあるように、今更ながら、第164回芥川賞受賞作品である「推し、燃ゆ」を読んだので、レビューと銘打ってありますが、そんな高尚なものではなく、なんとなく感じたことを書き留めていきたいと思います。

 

推し、燃ゆ | 宇佐見りん | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

(出典:「推し、燃ゆ」のamazonページ)

 

 そもそも、国語の成績は在学中いつも悪かったので、感想文なんか書けません。全く見当違いな解釈などを書いている可能性があるかもしれませんが、許してください。

(その可能性があるところには(個人的解釈)と書いてあります。)

 

 筆者の考えなんかわからないんじゃ~

 

 以下、ネタバレ成分多めでお送りしますので、ご注意ください。

 

 まず「推し、燃ゆ」について。

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。

(引用元:「推し、燃ゆ」のamazonページ)

 

www.amazon.co.jp

 

 あらすじにもあるように、主人公「山下あかり」は、家庭でも学校でもバイト先でもうまくいかず、唯一の心のよりどころとしてアイドルである「上野 真幸(まさき)」を推している、という感じで物語は展開されていきます。

 

 そんな唯一のよりどころである推しが、女性を殴ったという事件によってネット上で炎上、それまでは映画などの出演により人気が上昇していたにもかかわらずファンが減少、物語の終盤では芸能界の引退を発表し、主人公は推しを追うことができなくなってしまいます。

 

 推しの状況が変化していくことで、推しを生活の中心に据えていた主人公の心情もどんどんと変化していきます。そのさまに何とも言えないリアリティがあり、直接は言及しないものの、細かい情景描写によってなんとなく心に伝わってきます。

 

こういうところで国語の勉強が生きてくるのだと痛感しました…

なんとなくしか言えないのがもどかしい。

 

 おそらく、自分に誰かしら、何かしらの「推し」というものが存在する、という人はかなり刺さる物語なのではないかと感じます。自分の中にはない「何か」(=推し)に自分の生活の中心を委ねることの危うさのようなものがなんとなく感じ取れます。(個人的解釈)

 

 自分の存在意義の話などにも通じるものですが、外部のもの(それは友達かもしれないし、恋人かもしれないし、はたまた仕事や趣味かもしれません)に自分の存在意義を見出している人はどうしても自分という基盤が緩く危ういため、どうしてもメンタルが不安定になってしまうことがあるのではないかと思います。よく、仕事を定年退職した男性が家庭や地域での立ち位置を見出すことができず、引きこもりになったり鬱になったり、などの話を聞きますが、これはまさに、昭和的な考え方に基づいて自分の価値、存在意義を仕事をすることに見出し、委ねてきたためであると考えられます。

 

 そういう視点で見れば、ネット上でよく聞く「可愛くてごめん」という楽曲(リズムがめちゃ好きでよく聞いてます)に登場する女の子は、自分自身の存在に価値を見出しており(強がりとかかもしれないけど)、自分という基盤がしっかりしているため、自分を見失うということは少ないのではないかと感じます。

 

www.youtube.com

 

 歌詞にある、

私が私の事を愛して
何が悪いの?嫉妬でしょうか?
痛いだとか変わってるとか
届きませんね。そのリプライ

(引用元:https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/honeyworks/kawaikute-gomen-feat-chuu-tan-saori-hayami/

であったり、

趣味の違い
変わり者と
バカにされても
曲げたくない
怖くもない
あんたらごとき
自分の味方は自分でありたい
一番大切にしてあげたい
理不尽な我慢はさせたくない
“それが私”

(引用元:https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/honeyworks/kawaikute-gomen-feat-chuu-tan-saori-hayami/

というところから、この女の子は自分に価値があり、自己受容している様子が見て取れます。

 

 ちなみに自己受容とは以下のような意味です。

自己受容とは、あるがままの自分を理解し認めたうえで、全てを受け入れることを指します。あるがままの自分とは、いいところも悪いところも全てひっくるめての自分のことです。自己受容する場合には、長所・短所それぞれを評価したりはせず、無条件で受け入れます。よって、自己受容する場合には、仮に現状に不満があったとしても、全てを容認し、受け入れ、認める気持ちが基本となります。

(引用元:https://www.babypark.jp/column/single15.html

 自己受容が自己肯定と異なるのは、自分の長所だけでなく、短所も含めて自分であると受け入れてあげることです。

 このような考え方を積極的に取り入れたのは、アドラー心理学でその名が広く知られているアドラーです。アドラー心理学を分かりやすく解説しているのが、話題になった本「嫌われる勇気」です。これもかなり面白い本だったので、気が向いたらブログで書きたいと思います。

 

www.amazon.co.jp

 

 ちなみに、同じく「可愛くてごめん」の歌詞の中には、アドラー心理学で重要な項目として挙げられている「課題の分離」と受け取れる歌詞が存在しています。(個人的解釈、ただ書きたかっただけ)

貴女は貴女の事だけどうぞ
私に干渉しないでください

(引用元:https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/honeyworks/kawaikute-gomen-feat-chuu-tan-saori-hayami/

 

 課題の分離とは、自分の課題と他者の課題を分けることです。以下のサイトに「嫌われる勇気」本文の一部が記載されているので、それを読まれるのが一番早いと思います。

 

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと──あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること──によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

(引用元:https://diamond.jp/articles/-/226815

diamond.jp

 

 つまり、「可愛くてごめん」の女の子はアドラー心理学で語られていること(の一部)を(おそらく無意識に)実践していると解釈することができます。

 

 …話を戻すと、「推し、燃ゆ」の主人公は、推しのカラーである青で固めた部屋の様子や推しの過去の言動などを徹底的に調べ上げ、それをファイルにまとめるなどの行動からも、かなり推しを中心に据えて、あらすじに書いてある通り、祈るように推して生活している印象を受けます。

 

 おそらく、このような興味の偏り具合の極端さに加えて、本文で描写されている部屋の汚さ、日常生活での忘れ物の多さや居酒屋バイトの作業での困難から、主人公は自閉症スペクトラム症と注意欠陥・多動性障害(ADHD)を抱えているのではないかと予想できます。(個人的解釈)

 (本文中にも、<保健室で病院の受診を進められ、ふたつほど診断名がついた。>(引用元:宇佐見りん. 推し、燃ゆ. p.9の5行目)という文があります。)

 

www.smilenavigator.jp

www.tawara-clinic.com

 

 このような発達障害(現在は個人の一つの特性としてとらえられつつありますが、日常生活や社会生活において困難を感じていれば、それは改善するべき対象になりえます)を抱えている主人公は、この特性によって家庭内や学校での生活、アルバイトで困難を感じていることになります。

 一般的に、このような発達障害一人一人の特性を理解し、それに寄り添った周りの援助が重要であるとされています。しかし、本文の描写ではそのようなサポートが十分になされているとは考えられません。学校でも先生の言動から、発達障害への理解が足りているとは到底考えられず、両親や姉の発言も主人公の困難を本人の努力不足であると捉えており、四面楚歌の状態です。

 

 そのような状況下、主人公にとって、唯一の人生のオアシスである推しが芸能界を引退するとなったら、主人公はすべてを取り上げられた気分になることは想像に難くありません。それがp.100からの描写に現れていると思います。

 

 最後の展開では、推しの最後のライブに参加することで、推しを推し続ける生活の終わりを確信し、特定された推しのマンションを実際に見に行くことで、推しが芸能人ではなく一般人になったことを目の前にし、主人公は自分の中で推しと決別した(というよりは決別する覚悟を決めた)と解釈できます。

 

最後の1ページの描写が個人的には一番刺さりました。

 

 主人公は推しという中心を失ったことで自分自身と向き合い、自分の価値を外部ではなく内部に求めるしかないことを悟ります。アドラー心理学の言い方をすれば、自己受容することによって(ここの描写は自己受容なんてそんな前向きな感じではありませんが…)、自分らしく、不器用であっても、難なく二足歩行ができる他人とは異なる四足歩行であっても、自分らしく生きるしかない…一種の諦めのような形で物語が幕を閉じます。

 

 自分を受け入れられるように努力していこうという前向きな感じではなく、もう自分は自分でしかないんだから、受け入れていくしかないじゃん…というような諦め、とことん後ろ向きで物語を締めたのはかなり衝撃的でした。

 

 自らを殺めるでもなく、努力して改善していこうとするとかでもなく、自分を受け入れる諦め、という展開により、読み終わった時には、(言い方が悪いですが)生き地獄に放り込まれたような感覚でした。

 

なるほど、この作品はすごいです。(語彙力)

 

 …そんな形で物語は幕を閉じ、読後に残るのは何とも言えない、やりきれなさのような、救われなさのような、そんな気持ちだけが残りました。

 

 この作品は、現代の我々の危うさをかなり生々しく描いた物語のように私は感じました。最初読んだときは、「んー、なんか鉛玉をいきなりぶつけられた気分だけど、なんでかはよくわからんなー、やっぱ芥川賞取る作品なだけあって難しいなあ(アホの感想)」という感じだったんですが、この記事を書きながら改めて考えながら読み直してたら上記のようになりました。あー(白目)

 

 とりあえず、いろんな意味ですごい作品でした。最近読んだ作品では断トツで胸に残りました…

 

 

 

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

他にもいろいろ書いてるのでよかったら読んでいってください。

 

またね~

 

 

 

 

 

 

 

 …ちなみに、読むきっかけになったのは表紙のダイスケリチャードさんの表紙イラストが目に留まったからです。(三月のパンタシアが好きでよく聞いているのですが、アルバムなどのイラストを同氏が手掛けているようです。それで、「あれ、このイラスト見たことあるぞ?」ってなりました。「推し、燃ゆ」の表紙書いてるの全然知らなかった。)

suzuri.jp

www.phantasia.jp

 

 

 

 

2023年にPS2を買った話

 こんにちは!アトリアと申します。

 初めての記事なので、色々と拙いところがあるかもしれませんが、優しく見守っていただけると幸いです。

 

 さっそく、タイトルにもある通り、2023年にPS2を買った話を書いていきたいと思います。最近は、PS5がやっと抽選なしで買えるようになってきたとか、スイッチの次世代機がどうのこうのとか、そういう話が聞こえてくるこの頃でありますが、片や私はPS2に手を出してしまったわけでございます。

 

 

いや、あながち時代に逆行しているわけではないのかもしれないです。巷ではレトロブームが巻き起こっており、昔のゲーム機というのもその影響を受けています。その証拠に各社から昔のゲーム機のリバイバル製品のようなものが登場しています。(これも少し前の話ではありますが…)

 

↓ 以下はその一例

www.nintendo.co.jp

 

 とある日、なんとなく近所のハードオフに散歩に行ったんです。で、もともとゲームが好きなので、何気なくゲーム機のジャンクコーナーを覗いたんです。

そしたら置いてありました。

 

1650円PS2が!!!!(しかも動作確認済み)

 

 そんなことある?!(ジャンク初心者)と思い、家に帰って改めて調べてみました。そしたらやっぱり、周辺機器が何も付属してはいませんが、動作確認済みで1650円というのは最近の相場では安い部類に入るらしい、と…(しかもなんか青いボディだし!!)(うちの周りのハードオフも回ってみましたが、これよりも安い店はありませんでした)

(「そんなことないよ!」という感じだったら指摘していただけるとありがたいです…)

 

 ハードオフにある動作確認コーナー的なところで確認してもしっかり電源つくし、問題も特になさそうなのでホクホクしながら買って帰りました。

PS2メモリーカード、3色ケーブル、メガネケーブル、Dualshockコントローラーも青箱から救出して帰りました。)

 

 

 買った後、PS2の型番などについて勉強したところ、買った本体はSCPH-39000というもののアクアブルーという色らしいということが分かりました。(買う前に調べるべきだよね…汗)

 

 

Amazon | PlayStation 2 AQUA 【メーカー生産終了】 | ゲーム機本体

 

 そんなこんなで、比較的お買い得にいい色のPS2が手に入り、コントローラーも偶然いい色(緑色)が落ちていたので、個人的にはとても満足度の高い買い物でした。

 

 で、皆さんきっとここで思うわけです。ん?ただPS2買っただけでソフト買ってないの?と。

 

もちろん買ってますよ!

 

 

 「Xenosagaゼノサーガ)エピソード1[力への意志]」を購入しました!

 

 ぶっちゃけて話すと、このソフトを遊びたいがゆえにPS2を購入しました。ちょうどPS2を探しているときに前述の出会いがあったわけです。

 

 このソフトは、今では大人気シリーズであるXenobladeゼノブレイド)シリーズの総監督を務めていらっしゃる高橋哲哉さんが、ディレクター・脚本を務めている作品であり、同氏が関わる作品群であるXeno(ゼノ)シリーズの2作品目となっています。

 

ja.wikipedia.org

 

ja.wikipedia.org

 

 私は最近ゼノブレイドシリーズにはまっており、ゼノブレイドDE、ゼノブレイド2、ゼノブレイド3をスイッチでプレイし、去年WiiUを購入して(これも今更)ゼノブレイドクロスをプレイしました(まだクリアしてないけど…)。

 

dic.pixiv.net

 

 そんなこんなで高橋監督に心を持っていかれてしまった私は、ゼノブレイドシリーズをもっと理解するために、同氏が関わった過去の作品をプレイしよう!と思ったわけです。

 

 我が家には後期型PS3があるので、PS1のソフトであるゼノギアスは互換性があるためプレイできますが、PS2のソフトであるゼノサーガ3部作は遊ぶことができません。そこでPS2を用意する必要が出てきたということですね。

 

 そんなこんなで5時間ほどではありますが、ゼノサーガエピソード1を遊んでみました。

 

ムービー長すぎないか?

 

でも世界観大好き!ゼノブレイド2ででてきたKOS-MOSって本編だとこんな感じのキャラなんだ、かっこいい!!専門用語多すぎるけど、なんか聞いてるだけでワクワクしてくる!!!っていうかU.M.N.のマークってウロボロスの輪?っていうかこのゾハルってホムヒカのコアクリスタルと同じ形じゃね?

 

 …という感じでゼノシリーズのファンの方々にとっては当たり前なのかもしれませんが、ゼノシリーズ初心者の私からすれば序盤からいろいろ情報量がすごくて楽しませてもらっています。ありがとうございます。

 

ゼノブレイド3の追加ストーリーを楽しみに待ってます!

(あれ、この記事ってゼノシリーズの話だっけ…?)

 

www.nintendo.co.jp